戦後の復興とともに築いてきた木造技術

1945年7月28日。青森市街地で大規模な空襲がありました。一夜にして、市街地の9割が焼失したという歴史があります。戦争が終わったその年の9月に丸喜齋藤組は創業しました。

人々が暮らすためにまず、住む家をつくる必要がありました。青森にある森林資源と大工によって、今までの75年間地域とともに大工技術も成長してきました。今では、この大工の技術こそが丸喜齋藤組の大切な資源となっています。

日本の大工の減少

かつての日本には、もっとたくさんの大工がいました。しかし、戦後の日本において、建築は木造だけではなく、コンクリート造や鉄骨造に変わっていきました。それは、日本の森林資源の多くが利用されないままになってしまっている理由のひとつでもあります。

『大工の人口』野村総合研究所の予測。実績は総務省「国勢調査」より

木造の需要が減れば、大工の仕事も減っていきます。大工になりたい人は減り、また大工を辞めてしまう人もいました。このままいけば、本当に日本の大工は少なくなってしまうことになってしまいます。2030年には、日本の大工の人数は、21万人まで減ってしまうという予測もあります。

丸喜齋藤組は、大工とともに成長してきた大工の会社です。日本全体の大工がこの先も減ってしまうとしても、これまで培ってきた自社の大工の技術を絶やすことなく、これから先も新しい工法に挑戦し技術力を伸ばしていきたいと考えています。

こんな仕事もしてきました

木で編んだアーケード

建築家安藤忠雄さんの設計「四季のアーケード」です。網のように編まれたこのトンネルは、木材でできています。

木材は、無理に曲げてしまうと折れてしまいますが、ゆっくり時間を架けて曲げていくと緩いアーチを描くことができます。すべてのアーチが一定の曲率で曲がるように型枠をつくり、一本一本丁寧にボルトで接合してこのトンネルをつくりました。曲面でこの精度を出すことは、難しい技術を必要とします。

国際交流ハウス

青森県産の青森ヒバ材をふんだんに使用しています。八角形の大黒柱を中心に8方向に屋根を広げる構造になっており、すべて現しのため、失敗の許されない大工技術が必要な仕事です。

社寺建築

内部の構造を鉄骨造。外側を木造としたハイブリッド構造のお寺の施工中の様子です。屋根のかたちに反りがあるのは、お寺ならではです。